古来神々の原点である奈良のパワースポット神社を紹介、最強のご利益をいただこう
奈良のパワースポット神社のご利益(大神神社)
日本最古の神社といわれ、神殿を持たず背後の三輪山そのものを御神体です。
三輪山は、古来より神宿る山と呼ばれ、神聖な気が静かに満ちています。
御祭神=大物主大神
御祭神は、大国主命の和魂といわれる。
この神様は、創造・再生・守護を司る神で、新しい一歩を踏み出す人々を見守ってくださるそうです。
また大神神社では、特別な許可を得て三輪山に登拝できるようです。
登拝中は、撮影禁止・私語も控えだそうです。
自然の中で神聖な気をいただけるでしょう。

私からのひとこと・大神神社は、原点の気が流れる聖地です、新しい一歩を踏み出す人・迷いを払いたい人こそがここに来てほしいと思います。
登拝中は、自分の足音の響き・鳥の声などがこの自然の中で神聖な気が満ちているのでしょうね。
奈良のパワースポット神社のご利益(天河大辨財天社)
吉野の深い山々に抱かれるように鎮まる天河大辨財天社
古来より芸能と水の女神・弁才天さまをお祀りする聖地。
天川という地名の通り、この地は天と地を結ぶ場所と伝えられているようです。
御祭神=七福神のひとりと知られる弁財天さま
音・言葉・水・芸能を司り、音楽・舞踊・絵画そして言葉を紡ぐ人を導く神様です。
また境内に入ると耳にするのが、五十鈴の音。
天河神社の象徴であり、天と人・心と心をつなぐ音と言われています。
社の周りには澄みきった湧き水が流れており、水は心の鏡とも言われ、天河神社では心を映し・浄め・潤す気が流れています。
水と音と祈りが重なり合って、魂を優しくして癒してくれるのでしょう。

私からのひとこと・天河大辨財天社は、心を癒す場所ですね。
湧き水の水の音・水は心の鏡といわれ、心の奥にある気を教えてくれそうです。
また弁財天さまも、微笑んでくれそうです。
奈良のパワースポット神社のご利益(橿原神宮)
奈良・橿原の地は、日本のはじまりの場所と呼ばれます。
初代天皇・神武天皇が即位された地であります。
御祭神=神武天皇
神武天皇は、日本建国の象徴として希望と勇気の神とされています。
神話の中で、神武天皇が東に向かい苦難の末に橿原に辿り着いたことは苦難の先に光があるとの教えです。
境内の中は、広大な参道を歩くと木々が風に揺れ、鳥の声が響くとともに心が澄んでいくのでしょうか。
過去を責めず、未来を恐れず今を生きるというエネルギーが頂けるのでしょう。

私からのひとこと・橿原神社は、心が疲れた時・迷ったときこの神社に立つと、もう一度始めようと思えるのでしょうか。
新しい自分へ踏み出す時、この橿原神社の聖地に足を運んでみてはいかがでしょうか。
奈良のパワースポット神社のご利益(春日大社)
奈良の中心・緑深い春日山のふもとに鎮まる春日大社。
創建は、1300年前奈良の都・平安京の守護神として建てられました。
春日大社は、国の平安を守るためにタケミカヅチノ命をはじめ、合計四柱の神々が祀られています。
正しい道を歩むか・調和と平和をもたらす知恵・人と人をつなぐ縁を授けてくださると言われているようです。
また春日大社の象徴といえば、境内を照らす約3000基の灯篭春日祭や万灯篭の夜は、すべての灯篭の火が点き幻想的な光景です。
境内には、神の使いとされる鹿たちが穏やかに歩いています。
背後に広がる春日山原始林は、世界遺産にも登録されている神聖の森です。

私からのひとこと・鹿と目が合った瞬間、ドキッとしてしまいますが、穏やかな鹿と温かさを感じることが出来るかもしれませんね。
春日大社は、光に満ちた祈りの場、人の願い・感謝・希望のすべてが灯篭の光と共に輝いているのでしょうね。
奈良のパワースポット神社のご利益(室生龍穴神社)
奈良の東、山深い室生の里に静かに鎮まる室生龍穴神社。
古来より龍神が住まう神域と呼ばれ、水の気と生命の循環を感じられる場所です。
御祭神=高龗神
社殿の奥には、一般の参拝者は、立ち入ることの出来ない龍穴と呼ばれる洞があります。
この場所が、龍神が鎮まると伝えられる最も神聖な気の源。
龍穴の方向に手を合わせると、心の奥から静かな力が沸き上がり、大きな生命の一部だと感じるみたいです。
また近くには、女人高野と呼ばれる室生寺があり、龍穴神社と共に女性を守る気があるようです。
女性のエネルギーを高めたいときこの聖地は、心を整える最高の場所です。

私からのひとこと・室生龍穴神社には、自然とひとつになる場所であり、自然の風の通り、水の音などが感じられそうです。
また龍神の気は、力強く、優しくエネルギーを目覚めさせてくれそうですね。
奈良のパワースポット神社のご利益(感想)
始まりが大神神社から、天河大辨財大社・橿原神社・春日大社・最終に室生龍穴神社5社を紹介いたしました。
5社それぞれ違う気を持ちながら、祈りの道として一つに繋がっているのでしょうね。

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